入院49日目|子どもの成長を複雑な思いで感じてしまう最低な私

入院中
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微小変化型ネフローゼ症候群の体験談ブログです。

入院して49日が経過。
2日前に妻と3人の娘がお見舞いに来てくれました。

今までは病気や体のことをメインにブログを更新してきました。
今回は心の持ち方について、その必要性を強く感じたためブログにアップします。

家族全員で会える時間

入院して47日目のある土曜日。
妻と3人の娘がお見舞いに来てくれました。

妻はここ最近になって育児休暇を終えて職場復帰。
長女は小学校、次女と三女は保育園へ通っています。

そのため、なかなか平日に家族全員と会うことはできません。
1週間に一度程度の頻度になるものの、お見舞いに来てくれるとすごく久しぶりに会ったような感覚に陥ります。

ただ、久しぶりに会ってるような感覚は錯覚ではない。
実際に起きている時間の穴だと痛感するのです。

子どもの成長速度に驚く私

三女はもう少しで2歳になります。
私が入院する前までは、パパ、ママといった言葉を認識し、私たちを指させる程度でした。

それが、今となっては単語のやり取りで意思の疎通ができるほどに成長していました。

お菓子を食べたいといった単純な主張はもちろん。
お菓子をお姉ちゃんにあげてという私に、「嫌だ」と反抗することもできるようになりました。

その他にも、靴を脱ぎたいと主張したり。
靴を脱がせたら今度は履きたいと主張したり。
少し怒ると泣き真似をするほどです。

この時期の子どもの成長スピードはとんでもなく早い。
わがままなワンパク娘に成長している様子がとても微笑ましかった。

それと同時に、私が一緒にいれなかった47日間という空白の時間の重さを痛感するのです。

複雑な感情

ただ単純に子どもの成長を喜べていた時期とは違い、複雑な感情を抱いてしまいます。

一緒にいることができないため、この間の時間は二度と戻ってこないのだと。
子どもが成長していく様子を、この目と頭に焼き付けておくことができないのだと。

本来であれば、子どもの成長を素直に喜んであげるべき。
でも、今の私にとってはそれが難しかった。
もちろん子どもの成長は嬉しい。

でも、余計なことまで考えてしまう自分が心底嫌になる。

人の気持ちを考えられない私

妻は、三女を出産する際に約1ヶ月もの間入院していたことがあった。
切迫早産のため、入院が必要となったのだ。

その入院期間中、妻は同じような想いをしていたのかもしれない。
ただ、妻はそのようなことは一切口にせず、子どもと会えることを実に楽しそうにしていた。

私は、あの時の妻の気持ちを分かっていたようで、実は理解していなかったということにも気付きます。

実際に入院してみないと。
というより、同じ立場に置かれないと、私は人の気持ちを理解できない小さな人間だと。

あの時の妻は、人がお見舞いに来てくれるだけですごく嬉しいと言っていた。
話し相手がいるだけで全然違うと。

妻が入院していた病院は、自宅から歩いて行ける距離。
私が現在入院している病院は、電車を使わなければ通うのが難しい距離。

でも、私がお見舞いに行っていた頻度は今の妻と同じぐらい。

何でもっと顔を出してあげなかったのだろうか。
今さらながら昔のことを悔やむ自分も心底嫌になる。

体と心のケア

最近はいろいろとあって精神状態も落ち着かない日々が続いている。
気持ちを整理しないと周りの人に大変な思いをさせてしまうことも理解しています。

病気と向き合うということは、体だけでなく、心のケアも必要だと痛感する日々。
何とか平常心を取り戻せるよう、我を失うことなく進んでいきたいと切に思います。

そして、この場を借りて謝りたい。
周りに不快な思いをさせてしまっている人たちに。
本当にごめんないさいと。

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